桜井章一さん。
ご存知ですか?
お会いしたのは約15年ぐらい前。
マジビビりました、すごい人でした。
本当に痺れました。
何がしびれたかって?
存在が神です。
当時の思い出を語ります。
会うきっかけとなった事
15年ぐらい前の私は仕事で迷走していました。
当時は親の仕事を手伝っていたんですが、ずっと肉体系の仕事をしていて、まともに頭を使ったことがなかった。頭の使い方すらわかっていなかった笑
周りにいる社員は大卒の、自分から見れば、俗にいう『頭がよくて、弁の立つばかり』。
経営者の息子ではあるけど、会議参加にしても話の半分も理解できず、本当に情けない思いをしていました。
打破の仕方も見えていなかった。
自己否定の塊でした。
『親の七光にもなれない。ただの給料泥棒やんか』
今もそうなんですけども、その頃の私は体を鍛える事はとても大好きで、メディアでも、K 1とかプライドをよく見ていました。
中でも、ヒクソングレイシーの超然とした存在感のファンで、格闘雑誌でヒクソンをよくチェックしていました。
ヒクソンとの対談で麻雀のプロのおじさんとのやり取りがあった。
知らない人だが、その内容が本当に面白かった。 内容思い出せないんですけどね笑
当時すげーと感じた事は覚えている。
そのおじさんこそ、これから語る 桜井さんです。
桜井さんという呼び名は何かこう平凡な存在に感じるので、尊敬の念を込めて『老人』という呼び名で語っていきます。
老人と呼ぶと年寄り臭い印象があるのですが、古来から中国や我が国日本では徳があり、人格者に対して『大人』とか『老人』という総称で呼ばれていました。
明治初期の元勲、西郷隆盛(1828〜1977)も晩年、その総称で呼ばれていました。そんな意味合いを込めて、老人と。
雀鬼と恐れられた所以
老人は『雀鬼』と代打ち稼業の間から恐れられていました。
麻雀の代打ちで名を馳せ、その対局では億の金が日常的に動く。
若き雀鬼に勝負を依頼するものは政界の権力者、或いは極道会の親分。
勝負に負けた時はその世界から追放されたり、場合によっては命を奪われる状況にも追い込まれることもあったそう。
『雀鬼』。
仏のように優しい目をした人なのになぜ鬼と呼ばれたのだろう。
それは強欲で卑怯な手を使って勝負に臨むものに対しては毒には毒を以って制するという冷酷な手段の方法で勝負の相手をコテンパンに打ち負かす。
麻雀稼業に足を突っ込んだことを後悔するぐらいに。
仏から鬼のように変化するその豹変ぶり。 恐怖を植え付ける。
その姿が鬼と人々に映った。
だが毒には毒を持って制する。
その方法を続けるには人間らしい優しさを捨て、汚い人間になっていく。
それを悟った雀鬼は代打ちの世界から足を洗いました。
※著書『負けない技術』より
代打ち稼業から一線を退いた後は啓蒙者として
代打ち稼業から一線を退いた当時の老人はその後の生き方を模索していました。
『金の動く世界で人間の汚れた裏側の世界に向き合う事はもういい』
老人は弱き人たちと共存していく人生にシフトを変えました。
弱き人たち。
会社経営に失敗した男性。会社でパワハラを受け鬱になり脱サラした人。シングルマザー。
不登校児。不登校児を抱える親。発達障害。
社会的に生きづらい状況化にある人たちばかりです。
私の様に一見問題なく生きていても人生に迷って立ち止まっていた者も弱き人です。
そんな人たちに麻雀の勝負を通じて、行きづらい世の中で社会での適応の仕方を教えていく。
雀荘を運営する傍ら別の活動もされています。 麻雀をする人ばかりではなく、スポーツ選手、格闘家 そういう人たちとの対談。
プロの選手でも体の故障はする、アスリートの世界では触れることのできない体の使い方をアドバイスしていく。そして気づきを得る。
老人の思想とは『変化に柔軟に対応し適応していく心と体のあり方。』
何やらスピリチュアルな世界ですが、当時、仕事で迷っていた私には老人の教えや考え方がぴったりはまった。
スピリチュアルな世界に感じるとは申せ、老人は昨今の胡散臭い人物に見られる者たちとは一線を画する存在であり対極にある人。
夜更かしはするし、タバコは吸う、雀荘を閉じた後は深夜に弟子たちとラーメンを食べに行ったり、コーラも飲む。
健康的な生活とは程遠い人です。
こういった不健全な生活スタイルに、宗教チックな世界は気持ち悪いけど、矛盾した生活様式に親近感を感じて、『この人の本だったら変な世界に行きようないよな』という気軽な感覚で読んでいけると少しずつ その世界観にハマっていったんですよね。
達人に会いたい
数々の著書を読み漁りました。
麻雀のルールは全くわからないし、ギャンブルには興味ないのだけれども。
日増しに何やら思いは募る。
冷静に考えてみても、『雀荘のおっちゃん』ですよ笑
でも、当時そんな事はどうでも良かったんですよね。
『男が男に惚れる』というこういうことなんだよなと。
親の経営する店舗が町田に会いました。
『町田って言えば雀鬼会の道場があるし、いずれ見物に行ってみたいな』
見物ではなくて、老人に会いたい。
まずそこ。町田と言えば『桜井章一』一択。
日増し募る思い。会いたいという思いは日増しに強くなるのだ。
老人もお年だし(1943年生まれ)だし、先延ばしにしていたら会うタイミングも減ってくるよな。 という一端から、町田の店に視察にいかせてほしいという口実で、老人に会いに北海道から東京へ向かいました。
目的は雀鬼に会いに。 私が37歳の秋の頃です。
※店舗に行くとは申せ、仕事、業務とは全く関連がない、動機は不純ですが、お姉ちゃんと遊びに行くわけではなかったので、ツッコミはお手柔らかに。。。
いたよ。いた。本物の雀鬼だぜ。。。
店舗視察を終えました。
我が家の業態はアミューズメント関連です。
店舗内の接客、サービスを確認したり、スタッフと業務関連の話しを交わしましたが、気持ちはそこにはなかった。
『今日雀鬼に会うのだ』
『雀鬼会の道場、どの変にあるんだろう』
それ一色です。
よし視察終わり!
いざ雀鬼会へ。
道場を目指しました。
町田は碁盤の目の地形ではない。
そして、現在のように Googleマップも存在していない、 スマホの地図アプリも存在していないから本当にたどり着くのだろうか?
心細さを胸に足を棒のようにして歩きました。
ただ、老人と会うために。
交番に場所を尋ねたり、道を教えてくれそうな優しそうな人に聞いたよな〜
たどり着くまで3時間ぐらいかかったと思います。笑
歩いて歩き回って、旅装はキャリーバッグではなくて、ヴィトンのボストンバッグに詰めていたから、体のバランスがその重みで崩れ、足が痛くなりました。
交番が教えてくれた最寄りの古着屋があった!
隅の一角に雀鬼会が存在する小さなビル。
そこは他のテナントビルになっていて、2階の階段を上っていくと緑色の扉があって、小さく『雀鬼会』という札がかかってた。
呼吸を整え、静かに居住まいを正し、ドアをノックしてノブを引くと『こんばんはあ』と歓迎の挨拶。
まっすぐ前を見ると道場生四人が麻雀の対局中の最中でした。
そして、その左側に目を見やるとデスク。
そこには鎮座まします男性。
それは一年以上夢見た存在の桜井老人その人がタバコをくぐらせながらペンを動かしていた姿が我が目に飛び込んできました。
ルールのわからない対局を見る、しかし心ここにあらず
『やべえよ』『やべえ神がそこにいる』
交感神経が優位になりましたね。
私の存在や動向にはもちろん、老人は視線を向けなくても全体感を見ていたでしょう。
老人は、少し、ちらっと私を見ると、またすぐペンを動かし始めました。
こう表現すると どうってことないもんだけど、本に書いている様に『私は目を動かさなくても、360度周りも見ている』様に俺は観察されている、そんな緊張感を自分の中で作り、身体はリラックスさせることを意識しつつも、心の中の緊張は研ぎ澄まされていました。
道場生の一人が『一局一緒にやりません?』と私を提案を持ちかけてくれたものの、 私は麻雀ができない。
道場に来たのは何度も言う様に老人に絡みたかったから。お会いしたかったから。
それだけ。
すると『そうなんですね』と道場生。
道場生の表情を見るとこれは一瞬の主観何ですけれども『へえ、北海道から遠路はるばる 奇特なやつもいたもんだな』という表情が垣間見えました(という感じがしました)
一瞬の表情の変化でしたから、当時の私の様に老人の本を読んで、遠くから会いに来るというケースは多分レアだったんじゃないかと。
麻雀ができない私。
道場生の対局を眺めていました。眺めているフリ。
意識は変わらず老人の存在に対して。
『デスクで何書いているのだろう』
『もう少し低音だと思っていたけれど、声くぐもっている人なんだな』
『優しい話し方する方だな』とか、とか。
少し間を置いてから道場性の1人がみかんを持ってきてくれ、『もしよかったら食べてください』とくれました。
麦茶 も一緒にね。
緊張で口の中が乾いていたから美味しかった。
麦茶は飲んだけど、個体のみかんは口に入れる余裕はない。口を動かし、意識が散漫になることを否定した。
食べている場合ではない。
もうとにかく何度も言う様に意識は老人の方ばかり笑
老人は依然と変わらず デスクの上でペンを走らせていました。
数十分ほど経ってから対局が終わりました。
麻雀もできない、時間をやりくりする算段もない。
もちろんそこまで無駄に滞在してやると言う図太さは持ち合わせていないけれども『ここに居続けるべき理由はないよな』と感じました。
退室させていただくことにしました。
俺の前に神が
私としては何とか老人とお話がしたかった。
せっかくお会いするために町田までやってきた。
『本を読みました、大ファンなんです』
こう言う輩はいっぱいいるだろう。それぐらい私も弁えている。
でもそんなこと比較にされるぐらいどうと言う事はない。
勇気を出して、道場生に頼み込んだ。
『お忙しいところ お邪魔させていただきました』
『私はここで失礼させていただきます』
『今日は実はと言いますと桜井先生にお会いしたくやってまいりました』
『先生に握手をしていただきたいのです』
『先生の著書も愛読させていただいております、こちらもサインをいただきたいのですが
よろしいでしょうか』
と矢継ぎ早に捲し立てた。
この会話はもちろん、老人まで聞こえていたと思います。
が、儀礼上、道場生が老人のデスクまで取次に行ってくれました。
老人はおもむろに、私の方に顔を向け、一声を放ちました。
『どうぞ』
こちらにと声をかけてくれた。
もうやばかった 笑
目があった!
『俺、桜井さんと目が合ってるやん』
うずまく感動の嵐!
老人『北海道から わざわざ来たの?』
『俺の本を読んだんだね、君は麻雀やらないの?』
俺『はい、できません。麻雀とは無縁の人生を歩んできました、1年前から先生の本を拝見させていただきまして、一度お会いしてみたいなと思いここまで参りました。』
もう生きててよかった って感じ笑
『本をサインしていただけますでしょうか』と改めてお願いしました。
老人『お名前をここに書いてもらえる?』
サラサラとマジックで本の1ページ目にサインをしてくれました。
もう唯一無二の宝。
『握手もしていただいてよろしいでしょうか?』恐縮しながらお願いしてみる。
すると、老人はデスクから立ち上がりました。
身長が178cm ぐらい、すごい背がすらっとしてる。
私はこの時、母からプレゼントされたコムサのジーパンを履いていました。
キューピーのワッペンがついたお気に入りの作品です。
老人はそんな私の履いているものを見ると
『俺も昔そういうジーパン履いてたよ。』
微笑を浮かべる老人。その声のなんと優しいことと。
そしておもむろに手を差し出してくれた。
『ありがとうございます!』
心から夢見た思いが叶った。
握手。。。
手のひらがなんと柔らかいことか。
本当にスポンジみたい、赤ちゃんの様に柔らかかった。
本に書かれているように無駄な力みの取れた手と言うものなのか。
俺はなんと贅沢な時間を過ごしているんだろう。生きててよかった。
幸せとは旨いものを食うことでも、いい女を抱くことではない。そんなものに引き換えられない一瞬の先に本当の喜びがある。
自分を変えてくれた敬愛する人との出会いは何物にも変えがたい。
人間には崇拝する対象があり、偶像崇拝は最たるものだと言える。
でも幸せなら良いではないか。著作を読み一人の人物に会いにきた。そして願い叶い幸せに浸っている。悪い方向に向きようもない。
確かに、老人の本を読んでから、感性というものを意識して若干スピリチュアルな境地に向かっていたせいもあると思いますが、老人と握手をした瞬間、体を何かがすり抜けていく不思議な感覚がありました。
しかし嫌な感じは全くなかった。
37年間の人生やこの時に感じていた心境を掌握された様な。。。
そんな実感でした。
貴重な体験だった。
やはり達人は全身に目がついていた(360度の世界)
名残惜しい別れ。
このままいてはお邪魔虫になる。退散するしかなかった。
『お会いできて光栄です、失礼させていただきます』と挨拶。
道場生のお一人が『また遊びに来てください。』と見送りの言葉をくれる。
扉を開け、道場を後にする瞬間。
『んー、忘れ物だよ』と老人の声が背中に向けられました。
『ほら、あれみんなが君にあげたんだよ』と老人。
指をさす方向を見ると、椅子の手すりにみかんがのってました。
そう言えばテンパリすぎてみかんどころじゃなかったんだな。
老人のデスクと私が対局を眺めていた場所は感覚的に5m以上の距離がありました。
老人の視線はデスクにあり、執筆をされていた。なのに周りに起こっていること、存在するものを全て見通していたということだと思います。
『私は部屋の中の変化のありさまを把握するのは朝飯前だ』と書かれていたことを思い出した。
この人は本物だ。改めて納得。
人が心から求めるものとは?
雀鬼会を出てから私はしばらく感慨に浸っていました。
そして、この感動を早く誰かと共有したいとも思った。
私は東京に住む友人に LINE 送りました。
『俺とうとう桜井さんにあっちゃったよ』
友人はすごいなあと一緒に喜んでくれました。
以上が、はるか15年ぐらい前の思い出話。
当時の記憶が鮮明に蘇ってきます。
老人は1943年の8月の生まれ。
ブログを拝見した時、膝もお悪いと書いてありました。
喫煙をされるし 夜更かしもされる、お元気なのかなとネットで調べてみたら所在を確認するとまだご健在だった。
よかった。老人の様な方ほど、人間文化遺産として大切な人だから。
憧れの人と会うことができたという経験は生涯を通じた宝物になります。
物価は騰がり、景気のいい世の中ではありませんが、物質的に欲しいものは満たされているという世の中です。
『今聞かれて欲しいものは?』と問われたら、私ならば、『体と心の自由』と答えます。
もし時間を得たら、会いたい人に会う時間が欲しい。
ものは要らない。家に物が溢れるほど、憂鬱になる。年齢が52歳で終活がそう遠くない将来だからこそ尚更です。
唯物論的な考えは古い価値観です。
もう物にお金を使うことは考えてはいない。
それよりも経験が欲しい。
憧れの人と会う。
一緒に食事をする。
自分が経験をしたことがない世界を知り、一瞬で人生が変わる様な衝撃を受ける。
こういう経験のためにお金を使うならば惜しまない。
改めて最近、著書『負けない技術』を読み直していますが、歳をとって尚、当時気づかなかったことに気づかされる。
不変の作品とは時代が進んでも古びない。
そして私も年を取り、初めて本を手に取り、受けた衝撃を忘れてしまった。
それに替わってこうあるべきという固定観念と言う鎧を身につけて年下の人と接する様になってしまった。
職場では若いスタッフが多いんですが、私はどちらかというと真面目なおじさんで近寄りがたさが彼らから見るとあるのではないかなと感じました。
年齢はあくまで数字上の概念。
著書を読んでみて、体もそうだけど 心の柔らかさも改めて意識してみようかなと意識し直しています。